【連載】めろん。88
・綾田広志 38歳 刑事㉜
「いやあ、彼の家系もいわゆる特権階級のようなものだったからねえ。うまく使うことができればよかったんだけど……」
出来が悪かった。
両間は笑いながら言い切った。
「両親が優秀でも、その子供が優秀であるなんて限らないよねえ。二世が親の七光りって言われる所以だと思わないかい? どこの業界でも天才の子供が天才とは限らない。むしろその逆のほうが悲しいほど多い。〝あれ〟はそのわかりやすい見本だね」
とろんとした瞳で俺を見つめながら両間は言う。
さっきまで直視できなかったその目は、一度衝突した視線を逃さないというように俺の視線を縛り付ける。
脂汗が止まらない。精神的にも物理的にも、両間の優位は変わらなかった。
「……三小杉はどうしたんだ」
「食物連鎖の流れに淘汰されたさ」
死んだ……ということだとわかった。いや、めろん村の人間に食われた。
「どうしてそんなことをしたんだ」
「言ったろう? 僕は使える部下を捜している。経歴と立場で小森くんに白羽の矢が立ったわけだけれど、僕が思ったような優秀な人材じゃなかった。むしろゴミ。あれには餌がちょうどいい」
「お前!」
「おおっ、怒るんだ? 部下思いだね。だけど彼は君を出し抜くことしか考えてなかったよ。すくなくとも関係性のある君よりも、初対面に近い僕のいうことを聞くんだから。権力に対する貪欲さは優秀といえるのかな? いや、撤回しよう。優秀ではなく卑しいだけだった」
「あいつがどんなやつであろうと命を粗末にする権利はお前にない! ただでさえ俺たちの仕事は死に方を選べないかもしれないんだ。それなのにあいつは使えないという理由で、人間に食われるというみじめな死に方をした!」
「償え、とでも? 笑わせるじゃないか綾田ちゃ~ん。君もね、何度言ったらわかるんだい。僕は食えるか食えないかだけでしか人を見ていない。使えない人間は食える。使える人間は食えない。めろんに罹ったすべての者が理想にする構造だと思わないかい」
だから君はまだ食えない、そうであってくれ。
両間はニタニタと笑ったまま俺の顔を覗き込んだ。
「俺が断ればたちまち餌というわけか」
「さあ、そんな無粋なことはしない。君は危険だが僕の意にそぐわないからといってただ食わせるのも気が引けるしね。断ったあとの処遇は考えるさ。なんなら四肢を切り落として、胴と頭だけにしたっていい。頭脳があれば君なら使い物になるかもね」
三小杉が食われて死んだという事実のおかげで頭に血が上り、一時的に怒りが恐怖に勝った。赦せないという気持ちが憎悪となってまっすぐ両間に向く。
「めろんに罹ると人間らしさまで失うのか」
「違うね、わかってないよ綾田ちゃん。これに罹ると、人間が食べ物に見える。ということは同じめろん罹患者同士ならどうか。めろん罹患者同士はね、例え未食であっても互いを食べ物だとは認識しない。だからといって仲間意識もないし、食ったあとは一切の食物を受け付けずに死ぬだけ。つまりさ、この病に罹った瞬間から猛烈な孤独を味わう。わかる? 僕がどれだけ母親を食べることを我慢したのか。人間らしさがあるからこそ、この辛さを味わうんだよ。むしろ人間味がこの身から無くなれば気楽にパパっと人間食べて終われるんだけどね」
感情が一切読み取れない表情のまま両間は論調を変えずに言い切った。
食人衝動を受け入れつつ人間味を失わず、それを治そうとしている。その矛盾した最中に両間はいる。
だが人間味があるからこそ、という点には疑問を抱くしかなかった。
どうしようもない状況なのは理解するが、動物の脂肪を飲み、進行をだましだましここまでやってきたことの代償が感情の欠如であるのならそれはもう人間ではないのではないか。
元・人間の別の生き物であると考えたほうがいい。
「……例えば、死肉では満足しないのか」
「それができれば苦労しないね」
「だったら、相手を殺さなくとも生きたままの肉ではどうなんだ」
「い~い質問だね、綾田ちゃん」
両間は立ち上がり、縛り付けられた俺のふとももを思いきり掴んだ。
「こうやってガブーッ! と僕が綾田ちゃんのふとももに食らいついたとしよう。綾田ちゃんは痛いよね、でも死ぬほどのことじゃない。僕も美味しい生きた肉を喰らって大満足!」
痣が出来るくらいに強く、ふとももの肉を何度もひねり上げる。激痛が走るが、これくらいでは表情にはださない。
「そうなるとどうなるだろう。……結論、状況が悪化するだけさ」
「どういう意味だ」
「ゾンビと同じだよ。部分だけ食われて生きていても、その人間がめろんに罹患する。これは確実だ。実証記録もある。だが食ったほうは死ぬ。相手が生きているか死んでいるかだけだが、生きているほうも人を食いたくなる」
頭がくらくらした。
なんだそれは。出来の悪いB級ホラー映画のそれと変わらない。そんなふざけた話があってたまるか、率直にそう思った。
「わかるだろう、綾田ちゃん。僕たちめろん罹患者が相手を殺してあげるのはねぇ、人間だからこそなんだ。同じ思いをさせるくらいなら殺したほうがいい。心の底でそう思っているから。ゾンビのように僕たちは仲間を増やそうなんて考えていない。むしろ自分と同じ思いの存在を増やしてはいけないと思っているんだ。それが人間として最後の抗いだと思わないかい? ねえ、綾田ちゃん」
最後に思いきりふとももをつねりあげ、両間は笑った。
だがその笑顔にはこれまでと違う寂しさがわずかながらに含まれていた――気がした。
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